ご報告

8月21日 朝7時16分に 宮澤節子(享年 78歳)が 永眠しました。

大好きな自宅で大好きな家族に見守られての最期でした。
 通夜・葬儀は23日・24日に執り行いました。
 生前の母の「家族葬でして欲しい」との希望で、
たくさんの方々の母に一目会いたいという気持ちに応えられず、申し訳ありません。

下記に、家族の言葉を記します。


「お世話になった皆さまへ 謹んでお礼申し上げます」
いつの日も強い信念を持って歩んできた母でした。
妻として、母として家族に深い愛情を注ぐかたわら、料理家としても一生懸命。

教室を開いて生徒の皆様と共に活動していた姿が今も記憶に鮮やかです。
有機野菜にこだわり、生産者との繋がりも大切にしながら食を通じて健康になるということに情熱を傾けていました。

暇があれば研究に没頭し、努力を続けていた姿勢にも頭が下がるばかり。
二人の孫たちにも栄養の良いものを食べさせたり一緒に料理をしたりしながら接してくれたものです。

多くのお力添えをいただきながら、最期まで宮澤節子としての人生を力強く全うしてくれました。

心に残る母の生き様を胸に、私たちも皆で手を取り合って前に進んでいこうと思います。

〜長男 より〜


代表  宮澤節子

令和5年8月21日、妻 宮澤節子は、満78歳にて生涯をとじました。
闘病中も妻はお世話になった方への感謝の思いを口にしておりました。

皆様のお陰で充実した日々を送ることができたのだと、感謝の念に堪えません。
妻に代わり、心よりお礼申し上げます。

本日の会葬、誠に有難うございました。
略儀ながら書状をもって厚くお礼申し上げます。

〜夫 宮澤邦彦より〜


こんなにたくさんの皆さんの心の中に母がいることを嬉しく思います。
私は母と一心同体だったと勝手に思っています。
私の生まれつきの病気を治すために東西奔走しました。
母が生涯を通じて伝えたかったことは「命とは何か」という事だったと思います。

母が好きだった「ルピナスさん」という絵本があって、
その中に「世の中を、もっとうつくしくするために、なにかしてもらいたいのだよ。」
と主人公がおじいさんに語られるシーンがあります。

その言葉とおり、母は世の中をうつくしくしました。

わたしは母が亡くなったら、分身、身体の一部が失くなるんじゃないかと思っていました。
けれども、今、こうしてみると、心の中が温かい。
目で見る母ではなくて、心の中にいる母を大事にしたいと思っています。頑張って生きます。
皆さんの心の中にいる母を大事にしていただけたら、幸せです。

〜長女 多絵より〜


令和5年8月23日(通夜)  令和5年8月24日(葬儀)
喪主 宮澤邦彦